代表の澤健一です。 [プロフィール]
1952年鳥取県岩美町に生まれる。大阪の東畑建築事務所(1981年退社)において多くの建築家と学びに出会う。1981年先輩の野澤さんと雅設計事務所設立。1984〜1989年中江淳君(故人)と協働しながら1989年に現在の(有)アーキテックを設立。1997年、「鳥取市立若葉台小学校」の設計。1999年「鳥取県出会いの森センター」の設計。など現在に到る。
なぜ「建築」を選択したのか
大きくは「ものづくり」が好きだから、というのが理由。子供のころからイラストや工作が好きで、ツリーハウスを創ったり漁船の絵を書いたりしていました。家にいるときは屋根裏に自分の空間を創ったりしていました。私は自分の好きな場所を作り出し、そこにいるのが心地よいといういわゆる変な子でした。
そんな子供のころの癖がそのまま今の建築設計という仕事につながっていると思い込んでいます。「ものづくり」ができる建築という仕事は深くて面白いし好きだから夢中になります。しかし事務所運営からは遠くなります、その葛藤も醍醐味です。
こんな建築が良いと思う
建築を考える際には、「発見」ということを大切に考えています。日常の暮らしや仕事の中で新たな発見が出来るという意味です。人や家族、組織や仕事の環境は日々変化していきます。その時間の経過において、いつまでも発見や感動を認識し、再確認できる建築が良い建築だと考えています。
例えばドイツのフォルクスワーゲン「ビートル」のような車です。いつまでたっても温かいしほほえましい、構造や基本は同じでも、新たな発見がある、何かを付け足しても楽しい、そんな建築です。
施主の気持ちをこんなふうに理解しています
施主の要望は、はっきり言葉として表されることもあるし、言葉にならない部分が大切なことも多くあります。何気ない会話が設計の大きなヒントになることがあります。施主が何を求めているのかを、設計者は敏感に感じ理解する必要があります。言葉にならない施主の要望を取り入れて、それをカタチにしていくことが建築設計なのだと考えています。
設計者は人の心を理解する素養がないと勤まらないようです。人の暮らしや行動を理解するということは、とても想像力がいることです。この想像力が設計ということなのだと思います。