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27年元旦
DSCN036327年元旦
日野神社
我が家の
隣の神社

やはり心が
引き締まり
ます。
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モダニズム建築 「神戸近郊を訪ねて」

DSCN0041第12回 兵庫・鳥取建築士会交流会

12回目になる交流会は兵庫県の担当、明石大橋のふもとにある舞子公園から始まった。

◇孫文記念館は、兵庫県神戸市垂水区舞子公園内にある博物館。旧称は孫中山記念館(そんちゅうざんきねんかん)。

八角形の中国式楼閣『移情閣』は1915築の現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物で、国の重要文化財に指定されている。

辛亥革命の父と仰がれる孫文(孫中山)を顕彰する日本で唯一の博物館である。DSCN0052ガイドさんが、「この施設はあくまでも呉錦堂の建物であり孫文のものではない」と何回も強調されていたことが耳に残っている。

◇旧武藤家別邸洋館は、兵庫県神戸市垂水区にある西洋館

別称は旧武藤山治邸(きゅうむとうさんじてい)、および旧鐘紡舞子倶楽部 。舞子公園は明石大橋建設の際の埋め立て地、国道2号線からはかなり海側に造成された。DSCN0060

武藤山治逝去後の1937昭和12年)には鐘淵紡績に寄贈され、「鐘紡舞子倶楽部」と厚生施設になる。DSCN0075構造 - 木造、地上2階建、下見板張り、天然スレート葺(※管理棟は木造一部RC造2DSCN0110階建)

◇舞子ホテル兵庫県神戸市垂水区にある山陽電気鉄道グループのホテルである。

1919(大正8年)に日下部汽船迎賓館兼日下部久太郎別邸として舞子海岸を見下ろす高台に建設された洋館茶室・大広間棟・奥座敷の施設群に、旅館棟と楼閣を増設して、1942(昭和17年)に舞子ホテルとして開業した。DSCN0106また、設計者や建設会社がいまだにわからないという謎を残している。

洋館 - 1919(大正8年)竣工、煉瓦造、化粧煉瓦貼り、地下1階・地上3階建、兵庫住宅百選、神戸建築百選

DSCN0143

◇神戸文学館Kobe City Museum of Literature)は兵庫県神戸市灘区にある近代文学館

館建物は1904に、関西学院初代チャペルとして建設(M・ウィグノール設計)され、後に神戸市立王子図書館、王子市民ギャラリーとして親しまれた歴史的建造物を使用する。

明治22年(1889) 神戸郊外の原田村に、アメリカの宣教師 ウDSCN0128ォルター・ラッセル ・ランバス氏によって関西学院を創立
明治37年(1904) アメリカの銀行家、ジョ ン・ブランチ氏 他の寄付により礼拝堂として建てられ、ブランチ・メモリアル・チャペル と呼ばれていました。
DSCN0130

平成 5年(1993) 神戸市立王子市民ギャラリーとしてオープ 設計は一粒社ヴォーリズ建築事務所、建築は新井組平成12年(2000) 景観形成重要建築物等の指定 (神戸市都市景観条例)
平成18年(2006) 12月4日新たに「神戸文学館」として、リニューアルオープン
平成20年(2008)3月国登録有形文化財に指定 (文化庁 登録番号 28−0303)

◇兵庫県立美術館王DSCN0151子分館 原田の森ギャラリー

兵庫県神戸市灘区原田通にある美術館である。

平成14年4月に兵庫県立美術館「芸術の館」がHAT神戸に開館されたことにより、旧・兵庫県立近代美術館を活用し、その分館という位置づけで、平成14年10月1日に貸しギャラリーとしてオープンした。
 我が国を代表する建築家の村野藤吾 最初の美術館作品として
1970竣工、の作品でもある。村野流の美しい照明配置と階段は健在である。
 また、この地はかつて「原田の森」と呼ばれており、大正末期には新進の芸術家たちDSCN0153が新興美術運動を巻き起こした場所でもあった。このような歴史的背景を踏まえ、当館は全国の都道府県立のギャラリーとしては日本最大級の展示面積を誇る造形芸術の拠点として、運営をされている。また、
2012年(平成24年)11月

には旧西館を横尾忠則現代美術館として開館している。

敷地面積  6,564.91屐延床面積  1,0431.24

◇竹中大工道具館

新しい大工道具館が建つのは、六甲山の麓。緑豊かな庭の中にある。建物は地上1階、地下2階として存在感を抑え、敷地にあった茶室は残し、樹木の伐採も最低限に留めている。そこは都市の中にありながら、まるで森に包まれたオアシスのような場所。
地上階の透明感あふれるガラス張りのロビーには、地元の木工作家たちがつくった木DSCN0159のテーブルとチェアを用意。海側には新しくつくられた枯山水の日本庭園を、山側では六甲山の雄大な山並みを楽しみながらくつろぐことができる。地下の空間にも自然の光と四季のうつろいを取り込むため、大きな中庭を設けられている。

建物の四周を覆う壁は京都の聚楽土を混ぜた漆喰で仕上げている。さらに内側は桂離宮でも用いられているパラリ仕上げ。中庭まわりの屋内空間は、風化した版築壁をイメージした土壁削出し。雨風を防ぐ屋根は淡路のいぶし瓦。美しいむくり屋根で来館者を迎える。
地上階のロビーは伝統の職人技と現代の建築技術が融合した大空間。建物の骨格をつくるのは存在感を消した鉄骨材。構造技術を駆使して内部にDSCN0166柱のない大空間を実現している。一方、天井は天然の無垢材を使った伝統の舟底天井。木組みの技を用いてスッキリとして温かみのある空間がつくり出されていた。
そのほかにも名栗仕上げの自動ドアや、鍛冶が鍛造で仕上げた案内サインなど細かなところに職人技で工夫を凝らしている。DSCN0185

(多くの文章は各HPとWikipediaから引用。)

◇神戸女学院大学DSCN0202Kobe College)は、兵庫県西宮市岡田山4-1に本部を置く日本私立大学である。1948に設置された。

母体となった学校の起源は「女子の寄宿学校」(通称「神戸ホーム」)で、米国から来日したキリスト教宣教師イライザ・タルカットジュリア・ダッドレーにより1875年(明治8年)、兵庫県神戸市神戸区(現 中央区)に開校された(のちに兵庫県西宮市に移転)。その後「神戸英和女学校」、次いで「神戸女学院(Kobe College)」と改称され、第二次世界大戦後の学制改革に従って、1948年(昭和23年)に新制女子大学となった。キリスト教の教えに基づいた「愛神愛隣」の建学精神を基盤に、個性と自由を尊ぶ全人教育を目指している。校章は三つ葉のクローバーに“KC”の文字が入り、スクールカラーは濃青色で「平和」と「真実」とを表す。キリスト教学校教育同盟加盟校。

キャンパスは創立以来長く神戸市にあったが、1933年(昭和8年)、摂津尼崎藩主桜井家(旧・桜井松平家)が所有していた西DSCN0204宮市岡田山にキャンパスを移転した。近隣の関西学院大学聖和大学(現・関西学院大学教育学部)と同じウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるスパニッシュ・ミッション・スタイル(南地中海様式)の優美な校舎は、淡いクリーム色の外壁と赤銅色の瓦が特徴的。また、国土交通省近畿地方整備局は神戸女学院大学キャンパスを阪神間モダニズムにおけるヴォーリス設計事務所代表作として紹介している。「神戸女学院」の名称で2014年9月18日に重要文化財に指定されている。なお、重要文化財に指定されているのは12棟DSCN0206であるが、葆光館は神戸女学院中学部・高等学部が使用している建物であるため、大学として指定されているのは残り11棟になる。また、パーゴラが附(つけたり)指定されている。

重要文化財とは、日本国内に所在する、建造物、絵画、彫刻、工芸品DSCN0215、書跡、典籍、古文書その他の有形無形の文化的所産の中で、歴史上又は芸術上価値の高いものを文化財保護法に基づいて国(文部科学大臣)が指定した文化財のこと。このたびの指定は、DSCN0218建造物に該当する。対象となるものは以下の12棟。
総務館、講堂及び礼拝堂(ソールチャペル)/図書館(図書館本館)/文学館/理学館/音楽館(音楽学部1号館)/体育館(第一体育館)/葆光館(中高部)/社交館/ケンウッド館/エッジウッド館/汽罐(きかんしつ)/正門及び門衛舎

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播磨西を訪ねて       澤 健一


IMG_1761
今回は兵庫建築士会が担当会です。この交流会も、10
回目を迎えた。10年前昨日のように思いますが、今年はその発起人の澤先生がお亡くなりになってしまいました。誌面で失礼かと思いますが澤先生、数々のご指導をほんとうに、ありがとうございました。

今回は鳥取班の遅刻で始まってしまいました。平福の待合わせに45分遅れ、「ひんしゅくもの」であります、陳謝。

平福は智頭急行に乗ると西IMG_1757側の川向に懐かしい集落景観があることを知っていましたが、車のときに寄って見ようと思いながら今に至ってしまった数少ない町です。

同時に子供の頃に見た沿線の風景を思い出しました。智頭急行以前の話だが、近代化遺産のように見ていたこの路線は、昭和41年鉄道建設公団の手により国鉄智頭線として着工されていたようです。その後、状況が一変し僅か5%の未着工区間を残したまま工事IMG_1769が凍結された。昭和60年,地元の自治体が第3セクター鉄道として出資することを決定し、現在の便利で優秀な経営といわれる智頭急行になっているようです。

  今回は結果的にテーマが「庭」になったようです。すばらしい庭を見させていただきまた。特に田淵氏庭園は起伏にとんで立体的に構成された景色が圧巻でした。現在も暮らされている邸宅の玄関を入ると、書院と蔵に挟まれIMG_1773た露地のさきに井筒があります、つるべの滑車は「織部焼」の陶器になっている趣向。そして坪庭の御籠置台の周りは拳大の御影石と思うがあられを散りばめた「あられこぼし」に敷きつめられている。やはり頑丈に地面をしているのか、でも、籠はどこから入ってきたのだろう?疑問が残ります。

書院に付随してすのこ縁の「月見台」がある。すのこは竹でできていIMG_1791るが隙間が全くない、削っていると思うがその小口が全く見えない。書院庭園や茶室明遠楼が坪庭                         に入ると視覚に入ってくる。竹門をくぐって書院の縁側に着く。縁桁は約12m一本の細い丸太であるが、とても庇の荷重を受けているとは思えない、庇桔木(はねぎ)になって天秤として荷重を軽くしているのであろうか?また、疑問です。

ここは垣根デザインのデパートでIMG_1797す。四つ目垣、黒穂垣、三つ目垣、建仁寺垣、大徳寺垣などなど何一つ同じものはない、いわゆる、つながっている物、ひとつの空間で視線が及ぶ範囲以外の垣根や格子、床や壁は同じデザインの物が無く、異なるデザインでも更に統一感をだしています。

いつも感じることだが、様々なデザインを使うと全体が陳腐なろうとする、和風建築は何らかのコードを基本に置き、

そこで多様な趣向を、職人さん達がIMG_1800表しているのであろう。

キズタとイタビカズラの植物を手摺にした石橋を渡り、「明遠楼」(めいえんろう)に向かう。途中二段になった井戸を観ながら、左に中潜りのある塀がある。中は茶室「春陰斎」(しゅんいんさい)、二畳台目(にじょうだいめ)丸畳二畳、台目畳一畳の構成で造られた究極の美しい茶室である。やはり、ここも多彩な趣向が散りばめられている。竹垂木の鼻を2僂曚廟擇蝓筋を違えIMG_1808て取り付けている。どうやって取り付けているのだろうか?「明遠楼」は2階建て、寄付の襖を開けると四畳半・三畳台目の部屋が続く。ここから遠くはるか塩田や赤穂の海景を見ていたのであろう、すばらしい眺望である。往時の塩問屋の田淵氏はこの風景を観ながら何を考えていたのでしょうか、9月に行った偕楽園の好文亭も同じロケーションをしつらえていた。1階は寄付と四畳半の茶室、待合には砂雪隠という砂を敷いIMG_1822たトイレがユニークである。

赤穂市ではもうひとつ、改修された山崎邸へ行き、その夜は灘菊の釜場にて、澤先生を偲ぶ会をDVDで映写しながら過しました、ありし日の先生は笑顔で皆に頑張れと叱咤されているようでした。あくる日は手柄山交流ステーションにて昭和41年開業のモノレールを見ました。手柄山は今で言うテーマパークの奔りでしょうか、広大な敷地に好景気の遺跡がありまIMG_1859す。そして「播磨の国」姫路西国街道を歩く。姫路にはよく来るが、この船場・城西地区を訪れたことはない。多くの江戸時代の面影が残されている。そんな中、原田光明堂という姫路仏壇の製造販売店を覗く、製造過程を細かく亭主に案内していただいた。奥様が鳥取市出身というのも親しみを感じながら家一件分もするような仏壇を拝見しました。そして西国街道を歩き、のこぎり状になっている街路を(防敵)通り景福IMG_1861寺、ぐるっと廻って船場本徳寺に着く。

ここでは、アトリエフォルムの吉田さん中山さんに案内をしていただきます。1618年建立の本堂を中心にした真宗大谷派姫路船場別院轉亀山本徳寺を再生保存活用しながら「船場まちづくり」の核として活動を行っておられます。保存改修を行い移築した行在所にはすばらしい襖絵が残っています、一見の価値があります。

帰り道になります、姫路市街から円教IMG_1870寺を過ぎて弥勒寺によりました。滝石組の池泉鑑賞式庭園です。ここも公開はしていないがお願いして観させて頂きました。              

 播磨西エリアは鳥取から身近なところでもありますが、意外と建築散歩は出来ていません。潮干狩りにはよく行きました赤穂、姫路城、姫路商工会議所には何回となくお邪魔している姫路、そしていわゆる中央兵庫のあたりはまだまだお宝がありそうです。何回行っても奥の深い県です。

 

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兵庫建築士会との交流会(鳥取県西部)  澤 健一
例年、開催される兵庫県と鳥取県建築士会の交流会が19兵庫交流会(西部) 026ありましたので記録します。今回は第9回めになります。来年は兵庫て゛10周年となる。

最初は、枕木山、島根半島の中央に位置する。その山頂にある龍翔山 華蔵寺。
正直いってそれほど期待をしていなかった、そんなときの建築を見てびっくりすることがままある。
まさに、これはその例である。
臨済宗南禅寺派の末寺、禅宗の古刹、開基は1200年前天台宗の僧、智元上人で、その後、堀尾吉春候により復興、明暦三年(1657)松平直正公により再興される。
19兵庫交流会(西部) 034その後、松平不昧公により現在の形に復興される。山門の棟飾りがとてもユニークだ。19兵庫交流会(西部) 019

本堂に奥書院より渡る太鼓橋に眼が留まる。手前は小さな中庭になっており庫裏の縁側からみた写真である。
その奥書院がすばらしい、下の写真は茶室への入り口である。やわらかな鴨居の線がもてなしの心を持ってお客を招き入れる。
19兵庫交流会(西部) 020
本堂の前は美しい庭になっている。ほうき目がきれいに水面を描いている。
19兵庫交流会(西部) 014


19兵庫交流会(西部) 038眼下には中海に浮かぶ大根島、遠望に秀峰大山の裾野が見える。
このときは偶然にもこのような写真が撮れた。たぶんこの間15分程度だったか、すばらしい景観である。







19兵庫交流会(西部) 008まじめに和尚の講和を聞く。
天台宗は檀家が少ない。お布施も無く托鉢をして廻っておられるとのこと。
寺の改修が出来なくて困っておられる。島根県や松江市はこんなにすばらしい文化財を見捨てているのか、なんとかしてほしい。



19兵庫交流会(西部) 051旧江尾発電所に行く。
建設年は大正7年、山陰電気が建設。そして広島電気と合併して後に中国電力となる。
しかし、建物の前に別工事のプレファブがあり、写真が撮れなかった。

裏に廻ると、大きな発電用水路の穴の跡が覗える。
19兵庫交流会(西部) 052

根雨の町並みを散策する。
19兵庫交流会(西部) 069一般には見せていただけない所である、近藤家の庭のある客間を拝見した。
あった、あった、ここにも鳥取スタイルの縁側構造があった。
縁戸の外に丸桁を持ち出して縁角隅の視界を自由にするコルビジェの様式である。ただ隅柱は立っていてここの建物の場合は庇を多く出したいということなのかもしれない。

しゃれで金持神社によった。着いたらしゃれでなかった、大型バスが居るではないか。なんという、有名になったものである。
19兵庫交流会(西部) 085猫ひろしの祈願もあったとは。

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姫路から近江へ      澤 健一
11月11日から12日にかけて建築士会東部支部の研修会に参加した。姫路城大天守修理の見学から近江の佐川美術館までのコースである。今回は開口部、たとえば窓や入り口、そこに至る通路などにレンズを向けて感想を残したい。
11姫路・近江 149
佐川美術館の入り口に向かう列柱の通路は水面に反射する光と列柱の影が織り成す空間が逸る心をさらに高ぶらせる。
佐川美術館にはいたるところにこのような空間の作用を感じられる。設計者の細やかなかつ明確な意図なのであろう。

11姫路・近江 152
入り口のホールはたっぷりとボリュームをもって来場者を迎える。決して豪華な素材を使っているわけではないのだが美術館としての安心と気品、そしてこれからの高揚を「ちょっと待て慌てるな」と沈ませる。
11姫路・近江 16311姫路・近江 175列柱の通路が規則的に平面を構成しているが特に中池北側の通路が印象的だ。
楽吉左衛門館のホールには暗がりの中に池の水を通した光が降り注ぐ。まさしく地底の奥だ。地下の洞穴に迷い込みあがいた挙句に一筋の光明を見出した子供の頃の感覚を呼び起こす。まさに焼き物の土や岩の源「ジオ」を彷彿とさせる。





近江にはヴォーリズ記念館を訪ねて行く手筈であったのだが、予約が取れていなかったというハプニングがあって、近江兄弟社学園のハイド記念館に行った。しかし、記念館の先生の丁寧な説明もあって逆にヴォーリズ氏のことがよく理解できたようだ。

ヴォーリズ建築の特徴は優しさと住みやすさにあるという。11姫路・近江 10311姫路・近江 102階段の登りやすさ丸みの帯びたディテール、暖房を取り入れた設備などである。「たとえ建築家の評判を高めるような壮大な建物を作ることが出来ても、肝心の中に住む人は建築家の幻想の所産に過ぎない芸術作品のおかげで自らの生活を変えねばならないという不便な結果になってしまう」これがヴォーリズの建築への思いが表されている言葉である。ハイド氏はあの有名なメンソレータムの発明者である。

11姫路・近江 087
近江といえば出江さんの瓦ミュージアムだ。10数年ぶりに来ましたが、まだまだ健在であります。忘れていた空間やディテールが思い出されてきます。
11姫路・近江 138いつも建築士会の研修は予定変更がある。慣例になっているようだ。ところがだいたいその結果が良い。今回は大山崎山荘美術館に行けた。大山崎は千利休の茶室「待庵」が移築されている町だと後になって知った。山荘は安藤さんの地下美術館のあるところである。あーっと思い出した方もおられるのでは。
11姫路・近江 07511姫路・近江 053このトンネル状の入り口は琅玕洞(ろうかんどう)という。ここから歩いて10分程度で山荘に行き着く。美術館は霽景楼(せいけいろう)という。敷地内には6箇所に建物がありそのどれもが国有形文化財である。トイレの入り口がいいですね。

姫路城は入り口ばかりシャッターを押した。
11姫路・近江 03511姫路・近江 040
11姫路・近江 031


開口部は戦いを積み重ねた何か物語っている気がします。

戦い守る開口部は厳つく迷いを誘う形が見て取れます。11姫路・近江 03011姫路・近江 03611姫路・近江 023
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出雲大社保存修理      澤 健一
 21出雲 042 10月21日に出雲に行った。出雲大社本殿の保存修理の見学である。
  
 設計監理が文化財建造物保存技術協会、工事が清水建設。工事は二期目に入っており、本殿の建築工事と屋根の桧皮葺き工事の真っ最中であった。
   工期は25年の3月まで、いいときに見学が出来たと、鳥取地区建防協の竹中会長に感謝する。
  もとは杵築大社(きつきおおやしろ)、現在の出雲大社は大国主大神が御祭神、二礼四拝の参拝形式だがもともとは三十二拝だった、11月(旧暦10月)は神在月で全国から八百万の神々が集まってこられ神議がおこなわれる。いまは神々の皆さんがせっせと来られている最中でしょうか。
  大社は60年周期で造営遷宮をしている。前回は昭和28年、記録の範囲内では29回目。あの伊勢神宮は20年、なぜ60年か?のひとつの説は大量の木材の確保と資金の確保のようである。60年では造営遷宮に関わる人々は一生に一回ということだ。
  今回の御本殿は延享元年(1744)の建立、高さは8丈(≒24m)方六間正殿式と呼ばれている。修理は最も朽ちている部分を中心に行っている。工事写真は禁止なのであしからず。実際に普段の私たちは本殿には入れない。このような機会だけなのだ。
縁の板をはずした縁桁の修理を見た。桁の上、縁板との間に鉄板を挟んでいることに興味がいった。防腐処理として行っている。
  屋根の桧皮は特に大社は他の社寺より長い。二尺五寸が普通、が大社は三尺以上、ゆえに職人さんが座って仕事が出来ないので現場はたいへんらしい。桧皮を止める釘は竹釘、油で炒って使う、腐らない300年はもつものといわれている。
 本殿の屋根は特に重厚に作られている。桧皮の下には板屋根が三重に施されている。板は刻索(こくそ)という接着剤で板どおしのつなぎを防水と接着の用途で使われている。これがまた削っても取れない物らしい。
  「ちゃん塗り」という言葉を聞いた。いぜんにもどこかで聞いたことのあるような?。本殿の箱棟、千木、勝男木などは銅版を張りその上に「ちゃん塗り」を行う。黒い色がまた格式をあげている。日本でも規模としては最大級であろうとのこと。「ちゃん塗り」とは松脂を主成分とした塗料。
 そして飾り釘や金物には「にぐろめ」という硫酸カリによる硫化皮膜を施す。
 ほんとうに昔の職人さんはすごいですね。(もはや常套句)
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岐阜の旅           澤 健一
12岐阜・飛騨 012盆に家族で岐阜旅行だ。路は帰省と反対方向なのでよく空いている。
しかし、帰りは名神の事故で5時間遅れ、疲れもピークだ。私は岐阜には3回目、建築士会だったかもしれない、鵜飼船乗り場の川向こうの宿に泊まったか。
歴史的な町並み保存の川原町には始めていった。金華山のロープウェイで岐阜城に登った帰りに見た水路の水門が目に入った。どうみてもトトロですね。


12岐阜・飛騨 01412岐阜・飛騨 019
夜は居酒屋に入る。娘の嗅覚で選んだ店だ。汚いがよかった。
岐阜名物の枝付枝豆、これがうまい。生ビールがすすむすすむ。

あくる日もう一人の娘と合流する。この足で、高山市に入る。NHKの連続ドラマでも有名な宮川への飛び込み風景がみえた。炎天下の中私も飛び込みたい。12岐阜・飛騨 026

宿泊は奥飛騨温泉郷のひとつ平湯温泉。不動明王露天風呂神の湯がある。ここは松本にも近いし高山へも近い丁度中間地点、朝早く宿を出て穂高に、二階建てロープウェイで登る。3180mの槍ヶ岳を望む。正解だった。帰りは大変な人である。12岐阜・飛騨 080
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大雪の鳥取
31 002この冬、山陰は大雪です。

事務所近くのケヤキ通りもこの状態です。でも、綺麗ですね。
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平成23年元旦        澤
1 002元旦の初詣。
我が家の近くの日野神社です。
たいへんな雪です。

近年は雪が少ない岩美町であるが
今年はすごい。


雪が積もると見えないものが見えてくる不思議なものだ。
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鳥取の名峰「大山」
16大山放牧場 01411月16日の大山です。

大山はやはり美しい。

桝水高原から見る。桝水は標高400m強程度ですがこの日の気温が10度。

山は結構な雪化粧になっています。
紅葉も終わり、冬に突入ですね。
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黄金のオコゼ    澤
鳥取県11オコゼ 001岩美町沖の日本海でめずらしいオコゼが見つかった。早速山陰海岸学習館に寄り、現物を見た。
以外に大きい。まさしく黄金に光る珍魚、なにかの前触れか?と思う。
でも、三重や山口の各地にはニュースがあるようです。
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建築士会東部支部佐賀研修会  澤

22佐賀・建築士会 014鳥取県建築士会東部支部研修会 平成22年10月21日〜10月23日

建築士会東部支部 澤 健一

恒例の全国大会を挟んだ東部支部の研修会が終わった。佐賀は何もない県ではない、とても多くの歴史と文化に触れられる地域であった。改めて佐賀をかみしめる旅でした。

総勢15名、朝早く鳥取を発ち有田に着いたのが12時40分、我々は早速研修の地に向かった。例によってしょっぱなにいきなり予定外の場所に行く22佐賀・建築士会 009

柿右衛門参考館

人間国宝である十四代酒井田柿右衛門の窯元。広い敷地内には、ショールームや古陶磁参考館といった展示室母屋、風変わりな藁葺きの新宅が並び歴史と伝統を感じさせる場所となっている。柿ノ木と桜が印象的だ。

■深川製磁のチャイナ・オン・ザ・パーク。

宮内庁ご用達22佐賀・建築士会 026の有田焼工場である。忠次館は柿沼守利氏の設計、氏は1943年東京生まれ。1967年より建築

家白井晟一に師事。親和銀行本店第3期工事、虚白庵(白井自邸)、松濤美術館、雲伴居(遺作)などを担当。83

年師の逝去により翌年独立。建築は白井さんの匂いがいっぱいだ。壁の見切りや窓、柱の掘り込みや手摺、そして陰。他の作品に銀座清月堂ビル、光圓寺(福岡)、洋々閣改修、などを手掛ける。次の文章はHP洋々閣雑感より抜粋した。

「われわれの先祖はいつしか陰翳のうちに美を発見し、がては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。もし、日本座敷をひとつの22佐賀・建築士会 029陰翳に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり床の間は最も濃い部分である。私は数奇を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらもそこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。」・・・感慨深い言葉なのでコピーをさせていただいた。
■有田の町並み(またまた急遽予定22佐賀・建築士会 058外見学する。)
有田は、町並みとして、国の重要文化財(正式には重要伝統的建造物群保存地区)に指定されている。長崎県内では長崎市東山手(東山手町・大浦町)また南山手(南山手松ヶ枝町・小曽根町)など。有田の町並みが重要文化財に指定されたのは平成3年、『有田内山伝統的建造物群保存対策調査報告書』(佐賀県有田町教育委員会・昭和6022佐賀・建築士会 066年)によると、調査や町並みを考える活動が始まったのは、その10年以上前の昭和54年。清水氏によると、最初は、町並み調査ではなく、古窯跡の調査から始まったとのこと。

その後、歴史的環境の見直しや、地元の建築家やデザイナーなどの有志による勉強会、住民の意識向上などの地道な活動が続けられ、ようやく町並みの指定にいたった。現在も、「やき物のまち・ありた」を、「生きている町そのものを文化として保存する」という視点で、町並みの整備が進められている。年代の異なる外観がとても楽しい町並みだ。

webページ 有田アルセッド建築研究所の清水耕一郎氏談。)

22佐賀・建築士会 102

■塩田津重要伝統的建造物保存地区

塩田津は、有明海の干満の差を利した川港と長崎街道が育んだ商家町で、蓮池藩の西目統治の拠点として栄えた。町並みは、藩政期に遡る地割を背景に、重要文化財西岡家住宅と登録文化財杉光陶器店を核とし、江戸後期に建設された「居蔵家」と呼ばれる町家が重厚な景観を形成しており、これに塩田石工による石垣や仁王像、恵比寿像などが加わって良好な歴史的風致を構成している。(伝建協HPより)

平成13年に地元住民による「町並み研究会」が発足し、塩田町商工会主催で地元小学生を中心に町の歴史と文化財を探訪する「まちなみウォッチング」等のワークショップを開催し、その普及啓発を進め、景観保存への気運が高まった。現在は、町並み研究会から改

称した「塩田町町並み保存会」と「塩田職人組合」、「塩田町商工会」、市が連携し景観保存・まちづくりに取り組んでいる。その中心となって活動をされてい水山さんと筒井さんに案内をいただいた。 (佐賀県H22佐賀・建築士会 117Pより)

■隔林亭

佐賀藩主鍋島直正公の別邸である「神野のお茶屋」の茶室を復元したもの。1846年当時は、佐賀藩の迎賓館としての役割があった。1960年に解体される。その後昭和61年に「隔林亭文書」が発見され復元の機運が高まる。平成元年に復元される。ベランダの様に張り出た空間が新鮮である。清流を引22佐賀・建築士会 129いた池、松や梅などの緑が鮮やかな池泉回遊式の庭園が趣深く、市民の憩いの場として親しまれている。アクセスは現代的で付け足ししたものか?間合いの路地が印象的だ。(一部佐賀観光協HP・パンフレットより)

 佐賀三十六万石の十代藩主鍋島直正公は藩政改革22佐賀・建築士会 119を行い全国有数の雄藩としての実績を築き学問、救農、産業開発、交通文化、開拓、それぞれの分野で偉大な功績を残した。教育を刷新、人材の育成に力を注ぎ、弘道館での教育に力を入れた。「花を看るに好し民と偕に楽しむ」と民を愛す。


■大隈記念館

 世界的政治家として、また早稲田大学の創設者として有名な大隈重信侯の誕生22佐賀・建築士会 144125年を記念して、本記念館は和4210月に開館。大隈侯にまつわる歴史資料を数多く展示している。早稲田大学名誉教授今井兼次博士の手によるデザインで、大隈侯のどっしりして動かざる姿をイメージして建てられている。 大隈記念館はどういうわけか日本から遠く離れたヨーロッパの表現主義建築をモデルとしたものだ。実際に建物を眺め、中の空間に委ねると独特な感覚を覚える。特に背面や側面のデザインは新22佐賀・建築士会 147しい発見である。

今井は合理的なモダニズム建築とは一線を画する作風で知られているが、記念館においてもその独自性がよく表れています。モダニズムとは異なる今井の作風は、戦前にヨーロッパを周遊した際にアントニオ・ガウディなどの建築に触れたことが背景にある。ガウディを日本にいち早く紹介したのも彼で、自身が設計した日本二十六聖人記念聖堂(長崎市、1962)にはサグラダ ファミリア(スペイン)の影響が見て取れる。そして今井がヨーロッパで感銘を受けたもう一つの建築が第二ゲーテアヌム(スイス、1928)である。これはアントロポゾフィー(人智学)の思想家ルドルフ・シュタイナーが設計した建物で、20世紀前半においてコンクリート建築で芸術の域に達した名作と評価されている。両者を比較すると、大隈記念館の造形がこの第二ゲーテアヌムの影響を強く受けていることは明らかである。とはいえ、第二ゲーテアヌムに比べると小規模で基本的には矩形の建物である記念館にクセの強い表現主義を取り入れるのは簡単ではないはず。今井がシュタイナーのデザインをより深いレベルで理解していたからこそ実現した建物といえる。

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鳥取県中部の近代建築      澤 健一

H21兵庫士会交流 003松崎の商店街を初めて歩いた。東郷湖のシンボル、四ツ手網を観な

がら町の中に入る。路地を出ると商店街が連なる、古い家屋を構造

だけ残し改修している商店や民家が立並ぶ。昭和初期の写真をそれ

ぞれの家に飾って旅愁を奏でていた。そこに福羅酒造があった。
福羅酒造有限会社(ふくらしゅぞうゆうげんがいしゃ)

初代 為次郎(ためじろう)自家醸造から始まる。大正に入り現在

地へ。品質の向上と旨い酒を目指して、造りも地杜氏から出雲杜氏

による造りへ移行していく。「福羅」の「福」の文字は縁起が良い

ということで、昭和初期ごろまで、「福泉(フクイズミ)」、「福牡丹(フクボタン)」の銘柄でも販売。

地名の東郷(現湯梨浜町)に因み、銘柄を「東郷」を命名し、後に「山陰東郷」と改名。地元に愛される酒造りを基本として、「山陰 東郷」の銘酒を数々生み出している。今晩はこれに舌鼓か。
H21兵庫士会交流 007小鹿谷公民館 小鹿谷

(おじかだに)地区には,

昭和3年に建てられた旧

鳥取家庭裁判所を移築し

たという小鹿谷公民館が

ある。法廷の面影を残す

現在では貴重な昭和初期

の木造庁舎が,今でも

小鹿谷の皆さんは大切にされているが、外壁を漆喰にしてほしい。


江戸時代、小鹿谷には鳥取藩家老の和田氏の陣屋が置かれていた。

その和田氏についてきた市橋家は、酒造業で産を成し、県を代表

する大地主となった。明治十四・四十四年の直接国税納税額順位では、県内の筆頭に挙がっている。

H21兵庫士会交流 013益田家住宅 主屋は大正5年の建築、続間が少なく中廊下で構成された間取りは民家の展開を示す貴重なものだ。感動は持ち出し

桁で組まれた自由でかつ開放的な(元環境大の澤良雄氏によれば

コルビジェより早い鳥取独自のスタイル)縁側の造りである。

転法輪寺(てんぽうりんじ)天台宗、湯谷山。開山、円仁。

開創、承和年間(834〜47)。天台宗寺院であるが、空也上人入寂

の地とH21兵庫士会交流 036伝えられる古刹。空也上人の修行姿と往生姿の木彫り2体

が安置してあり、県の保護文化財に指定されている。その他、大

イチョウ、大イヌグスや猫のオフジ伝説(写真)など話題や自然

素材に事欠かない。
H21兵庫士会交流 044
光徳寺山門
高く伸び繁った杉の老木に囲まれた参道の正面に石段があり、

その上に簡素で美しい茅葺屋根の山門が建っている。この地方

に末寺を10箇所も持つ宗道宗の名刹、尼子一族の祈願所で山陰

の修験道の歴史を解明する上で貴重な存在といわれる。

永享4年(1432)無余空円を開山とした、町内ではもっとも古い建築

物であり、その格式にふさわしい静かな美しさを持つ山門だ。

江原酒造 「帰らざる玄関」を含め街道に面して三つの玄関がH21兵庫士会交流 050

ある。私の地域なども葬儀や嫁入りのときは玄関ではなく縁側

から出る。その出口が玄関として明確に造られていることは不思議だ。昭和5年に中山町より移築。

中井旅館 「へるん」は八雲の別名で、英語教師として赴任

した。松江では、この名で親しまれた。八雲と妻のセツは、1891年8月に新婚旅行で鳥取県内を訪れた。友人への手紙

同町八橋の中井旅館(現在は廃業)に宿泊し、八橋海岸で海水

浴をしたことなどを書き送っている。
河本家住宅

古民家には驚きと癒しがある。まことに美しい民家である。門を入ると清楚な母屋が凛として建っている。左に小さいが「庭の七木」をあしらった庭、中に入ると「中庭」と呼ばれる土間がある、奥に炊事場(仕事場)左側に和室が連なっている。欄間のダイナミックさに感嘆する。

貞享5年(1688年)建築の民家。当初は落棟客間の変形6間取り、後に広間5間取りに復元した。防火のため、竈(かまど)の天井に泥を塗るなど、随所に「暮らしの知恵」が施されている

光集落 今回の企画の本命、鏝絵の町にたどり着いた。H21兵庫士会交流 112

鳥取県東伯郡琴浦町(旧、東伯町と赤碕町が合併)大山山麓

に広がる農村地帯の一角に光集落がある。平凡な農村集落だが、家々に従えた土蔵のほとんど全てに様々な鏝絵が見られ、さながら村全体が左官博物館的な様相を呈している。

これらの鏝絵のほとんどは、この地に生れた左官職吉田貞一

1985没)の作である。独学で鏝絵を学び、鶴や亀、巾着

などの下絵を何度も何度も練習したという。H21兵庫士会交流 109

また鏝絵のみならず鮮やかな海鼠壁も手掛け、独特の意匠が

この狭い集落で見られ、漆喰細工の博物館の感がある。

光(みつ)地区の鏝絵(こてえ)=左官職人が、コテを使っ

て漆喰の壁などに描いたレリーフ(浮き彫り)を鏝絵という

が、琴浦町光には戸数四十八戸の内、鏝絵のある蔵や母屋が

四十三棟も密集している。鏝絵が一所に集中しているのは全国的にも珍しく、近年注目されるようになった。これらH21兵庫士会交流 116は昭和30年代から描かれるようになり、吉田貞一(よしだていいち)が石州左官職人の生越故次郎(なまこしこじろう)から鏝絵技法を習得した処にあるようだ。

光から桐谷家に向かう途中に西日本最大といわれる墓地を

通る。まるでニューヨークのマンハッタンを空から観てい

る景観だ。墓石が摩天楼のようで都市の未来を暗示してい

るかのようである。相当の数の墓地だが海岸べりのお墓参

りは過酷な天候の時にはさぞ大変だろうと、いらぬ思いを

馳せる。話のネタには一見、おすすめである。花見潟墓地H21兵庫士会交流 124

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山形の建築       澤

土門拳記念館15山形研修 016

記念館は平成14年6月に落成。設計は谷口吉生で、1984年の吉田五十八賞を受賞。完成から25年たっているが美しく保たれている。なんといっても白鳥池に生える建物の姿は予想以上に土地の歴史性を表現して計画されている。建築に加えて土門さんと親しい方々の記憶をも意図されている。コート1の庭園は草月流家元勅使河原宏(てしがわら)「流れ」。最上川の玉石を使っている。彫刻はイサム・ノグチ「土門さん」。15山形研修 007

主展示室の床は特注ナラフローリング、天井は蛍光灯500本を使い昼光に近いルーバー天井となりみごとである。展示壁は鉄板にフッ素樹脂塗装としてきづ付きにくいものとしている。

思っていたより外観デザインから受けた規模が現実は小さく感じた。しかし、内部空間はその反面性からなのか作品の主張からなのか豊かで親しみやすいものとなっている。

酒田市立美術館15山形研修 004

平成9年10月、鳥海山、最上川、そして市街地を一望できる丘に開館。広大な敷地内にゆったりと立つ景観を生かした美術館。常設の柱となる作品は文化勲章受章者・森田茂画伯の作品。酒田市出身の洋画家・故斎藤長三氏の作品と彫刻家・故高橋剛氏の作品です。意外、とても楽しい(?)美術館15山形研修 034です。池原義郎さんの作品で、いたるところに池原流のデザインがちりばめられていて面白い。15山形研修 032












真下慶治美術館

着いたら展15山形研修 058示準備の休館日だった。ラッキーなのは館長さんに建築の理解があって丁寧に説明を受けられたことだ。建物は最上川を眼下に望む高台に位置し、なだらかな丘陵と杉林を背景に、周りの景観に溶け込む建築となっている。とりわけ、その前面に広がる最上川の大蛇行部(大淀)を眺めることができるラウンジは、作品鑑賞の余韻に浸るのに格好の空間となる。
また、この美術館は木造(村山市産材)の可能性を追求した先駆的工法によるもの、廊下や多目的室の小屋組や展示室の不可解な構造に建築士としては興味がつきない。地域循環型エネルギーのペレットボイラーも使用した環境にやさしい施設。設計は当地村山市生まれの高宮眞介氏。高宮さんは丹下さんの所から土門拳の谷口さんの所へ移っている。丸亀市猪熊美術館や豊田市美術館などの有名な作品があるが、その系譜からは真下は少し違うような気もする。しかし、いずれも土地や環境を徹底的に生かす点では脱帽だ。

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神戸を道草               澤 健一
神戸移住センター 043神戸を道草
                              旧神戸生糸検査所

神戸移住センター 028

神戸移住センター 026

                                                       





旧神戸海外移住センター
神戸移住センター 019
神戸移住センター 015






正面玄関

神戸移住センター 017









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はまち
5まぐろ 001はまちを松で燻す。

これをにんにく醤油で食べる。

Yさんの別宅で馳走になるが

うまい。
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モンゴル記〜実生活体験編〜
モンゴルへ行っていました。(~_~;)

私こと鳥越は2006/8/6から11/7までちょうど3ヶ月間、モンゴル国に行っておりました。むろん観光でもなければ、相撲の修行でも有りません。れっきとした「設計のお仕事」をして参りました。

モンゴルにいる間、宿舎ではTV・ラジオ以外にこれといった娯楽も無く、暇に任せて毎日の記録(世間で言うところの「日記」ですね)を付けていました。
その中から、モンゴルで見た事・聞いた事・思った事等を脈絡無くUPしてきたいと思います。

観光情報はネット上に沢山出回っているので、そちらに任せることにして観光でなく実生活で感じたモンゴルを紹介したいと思います。

モンゴル01←走る車から撮った一番「モンゴル」な風景(8月中旬)
道からこの位離れてくれていれば安心して運転出来ますが・・・






モンゴル02←こんな風に立たれてしまうと・・・怖いです (>_<")
ランクルやパジェロを時速100〜120kmで走らせますからブラインドコーナーの先がこんなだとホントに危ないです。



もしも轢いた場合は車側に弁償の義務が有ります。(まぁあたりまえか・・)
ちなみに写っているのは珍しい「ヤク」で、一度食べましたが顎が疲れました。


モンゴル03←モンゴル第二の都市・ダルハン市で良く利用した「ナランホテル」





屋根が工事中で小屋組がむき出しですが心配御無用!!営業してます!(>_<")
「雨は降らないからノー・プロブレム!」
その上蚊が多くて蚊取り線香を取出すが、なんとも効きが悪い。
退治はできず、なんとか「避け」になる程度・・・

朝食は目玉焼き(モンゴルの卵は黄身の色が薄く「レモン色」です)
・羊ハム・パン・・・の予定が結局最後までパンが出て来ませんでした。

フロントのおねーさんは結構日本語が上手でびっくりしました。
大学の専攻科目で「日本語」が人気らしく日本語を話す人(特に若い女性)は、結構多いらしいがそれを生かす職(日本法人・通訳・ガイド等)が有るのは殆どが首都ウランバートルとの事。

このダルハン市から200kmも北へ行けばロシア国境で、近くにバイカル湖が有ります。


モンゴル04←道路が丘を越えるような所の頂上には必ず「塚」が有ります。

「オボー」と言いって旅の安全を御願いする所で小生ら一行も賽銭20トグルス(日本円で2円ですね)で周りを三回廻ってお祈り。

こんな周りに何も無いところにも真っ黒になった子供が二人。
どうも浮浪児でお供え物を狙ってるようで彼らには食べ物のほうが良かったんでしょうか?


モンゴル05←モンゴル第三の都市・エルディネット市の丘に立つ銅山発見の記念モニュメント。

とある日曜の午後、アパートのすぐ近くなので一人で登ってみました。


まぁ50m位の丘で階段も有るのでだらだら歩いても15分で頂上です。
西側(写真で左側)に町が一望でき、南には銅鉱山から出た巨大なボタ山が異様な雰囲気でそびえてます。

星空だけでなく空の青さも印象的で雲がそのまま地表に影を落とし何とも壮大な風景です。確かにこの環境の中では5分・10分にカリカリするのは阿保らしくなります。
昼頃は結構な人が居ましたが、3時頃にはまばらになり30分程・・ボ〜としてました。
ここは町唯一のデートスポットとのことで数組の若者グループが草原の方で騒いでいました。


モンゴル06←その巨大な「ボタ山」です。

たぶん町から10km程でしょう。ここエルディネットの銅山は世界の5指に入る規模を誇り!この町をモンゴルで唯一自活できるだけの経済力を持たせています。

人口は10万人程で、確かにこの町は埃やごみが少なく綺麗な印象が有りました。

以前町で見かけた光景>午後五時過ぎに市内を車で走っていたら向こうからサイレンを鳴らしたパトカー(ジープタイプ)に先導された十数台のバス!

前周りの車は路肩で一時停止。聞けば銅山炭鉱労働者の専用送迎バスとのこと。
町の主産業ゆえの特別な扱いらしいです。車中の人は皆寝てました。

8月の下旬ですが、草や木立は初秋の風情となっています。



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デジタルな建築写真の画像補正について
デジタルな建築写真の画像補正について

2007/3/10に建築士会/情報委員会の主催で行われた「デジタルカメラ活用術」の受講を期に建築物を撮影するときに避けられない「広角レンズの歪み」をなんとか出来ないものかと少し踏み込んでみました。

建物を撮影する場合、スペース的な制約から内外部を問わず広角レンズ(フィルム式カメラで28mm以下のレンズ)を使う事が殆どですが、かなり高価なレンズでもない限り画像に「歪み」が出ます。

ましてやプロの使うアオリ機構付レンズ(光軸をずらせて変形を補正する・・難しい)など高嶺の花です。

で、色々探していたら画像ソフトの大御所PHOTOSHOPの最新版「CS2」の新機能としてこの歪みを補正する「レンズ補正フィルタ」なる機能が有ることが判り早速試してみました。
この機能、パソコン・ディスプレイの画面補正と同じ感覚で簡単に使えます。
機材は普通のデジカメに非純正の広角コンバージョンレンズ装着!と歪み発生環境としては多分最強 (^^ゞ と思われるトホホなカメラで撮影しました。

その結果が下の写真です。さすがアドビ!値段も納得の出来栄えとなりました。

デジタル01例-1 左が補正後(以下同)、右が元画像です。

右だけを見れば「ふーん広角ね。」程度ですが並べてみると絵のスッキリ感が全然違います。


デジタル02←例−2 色補正しているせいも有るでしょうが全然別の写真ですね。

プロフィール・ページに使っている弊社社屋の写真です。
デジタル03例−3 室内は狭いので更に歪みますが見事に修正してくれます。



デジタル04例−4 歪みまくった狭い階段もこのとおりです。

唯一の弱点はトリミングが必要なので最終的には「画角」が少し狭くなります。



デジタル05例−5 柱が歪んでいると「何処に出しても恥ずかしい」写真になってしまいます。




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モンゴル記〜食べ物編〜
モンゴルで食べてきました。(~o~)

現地の人でさえも「この地での楽しみは飲んで歌うこと」と言うくらい日本から見れば質素な国での食生活は、やはり質素なものでした。・・・が、単調なようでもバリエーションはかなり有り、中にはホントに美味しいものも!

店に並ぶ品物は中国・韓国・ロシア製が多く、アジア各国や東ヨーロッパからもさまざまな物が輸入されていました

モンゴル食べ物01



▲ある日のランチ-1
左:最も一般的な家庭料理「ヴォーズ」(小さ目の肉まん、あるいは大き目の餃子)
右:ソーセージ&フライドポテト。 どちらも「羊」製です。

モンゴル食べ物02



▲ある日のランチ-2
左:卵入り炒飯&肉うどん「ゴリルタイ・シュル」(キシメンに近くこれもポピュラーな料理)
右:肉とジャガイモのスープ&チキンライス。パンと野菜サラダ付き

モンゴル食べ物03



▲パン・クラッカー
左:すぐ近くのパン工場で毎日買っていました。懐かしい給食パンそっくりですが横に10個位つながっていて言った数だけちぎってくれます。1個10円
右:パン・クラッカー各種 甘いパンから山椒のような香草が入ったものまでイロイロ。
クラッカーは輸入品で日本で食べるものとほとんど同じでした。
モンゴル食べ物04



▲瓶詰め野菜・その他いろいろ
左:ニンニク水煮・ピクルス・野菜とマッシュルームの酢漬け・・等々
基本的に「野菜」はこのようなものがほとんどです。
右:奥左の韓国製トマトジュース>砂糖入りで(>_<")・その右はロシア製コーラ>安いが超(>_<")
中はミネラルウォーター>実は日々の飲用水を確保するのが一番重要な買い物でした。
モンゴル食べ物05



▲最安値VS最高値
左:中国製インスタントラーメン。独特のビーフスープの味が評価を分けます。
右:嘘も言えない「きゃびあ」です。小さな町のスーパーの棚に無造作に有りました。

最高値と書いていますが日本では考えられないくらいの安さです。
「偽物?」との声もでましたが、ここでは偽物を作るほうが大変だろうとのことで「ランクは低いかも知れないがとりあえず本物だろう」との結論に。
モンゴル食べ物06一押しビール\(*T▽T*)/ワーイ♪

非常に飲みやすい黒ビール「ハラホリン」です。
「ハラホリン」>世界的にはカラコルムと呼ばれるモンゴル帝国時の首都。
行ってみたかったが、と〜〜っても遠いので断念。
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真名焼き「難波 勲さんの仕事」
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難波勲さんは自分の仕事を、透明感の追及といった。

そして幼少の記憶が水面を見上げた陽差しのごとく難波さんの仕事は、私の深い印象の宇宙から舞い降りさせた。
周辺が白くぼやけた写真には、先のない路地の片隅に土器の破片がある。

記憶の印象を形成する文脈は必ずその表層に「悲しさ」と同居して舞い降りてくるイメージを、私は今になって自覚しだしている。

意識に内包され浮遊した「悲しさ」をどんな言霊に昇華させるかは全く個人的な読み取りに委ねられるだけなのだが。
多くの趣味人や美術愛好家でさえ難波さんの仕事を前にして色彩やマチエールといった印象から感想を口にするのがとても愚鈍なことぐらいはわかっている。私たちはその表現が一般あるいは普遍として瞬時に意識してしまうからだ。

大切なことはこのことではない。

普通、我々の思考および言述は自分自身の知識や知覚を逸脱することはない。

そして知識や知覚の記憶は、我々の多くの行動をも制しつつその文脈を無意識に順序だてている。

人は自覚している範疇でしか表現できないのだ。
しかし、我々の記憶は幼少期に炎を眺め、土を掴み、水中から天を仰いだことを知っているし、雪や暴風雨、また稲妻に恐れたことを記憶している。
それらの情報は我々のDNAにインストールされている。

言語化できない膨大な記憶群には遥かな 遥かな宇宙の瞬きや銀河の爆発でさえDNAは知っているようだ。ただその情報が意識レベルで捕獲し制御できる文脈に達していないだけなのだ。
難波さんの仕事はその普遍を超えて私の記憶を呼び起こした。

意識される物と現実のゆらぎに「悲しさ」を垣間見る「記憶のゆらぎ」。

あらゆる仕事はその「ゆらぎ」のコピー、ないしは「迸り」である
ことを思うと、記憶の宇宙の文体
に彩られた私の「悲しさ」が水中を回転する円周率の数字のように巡ってくる。

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