鳥取県鳥取市の建築・設計事務所。住宅 病院 クリニック 医院建築 医療施設 福祉施設 介護施設 公共施設 学校 オフィス 共同住宅
鳥取県鳥取市の建築・設計事務所
2009年11月のアーカイブ
2009年11月07日
鳥取県中部の近代建築      澤 健一

H21兵庫士会交流 003松崎の商店街を初めて歩いた。東郷湖のシンボル、四ツ手網を観な

がら町の中に入る。路地を出ると商店街が連なる、古い家屋を構造

だけ残し改修している商店や民家が立並ぶ。昭和初期の写真をそれ

ぞれの家に飾って旅愁を奏でていた。そこに福羅酒造があった。
福羅酒造有限会社(ふくらしゅぞうゆうげんがいしゃ)

初代 為次郎(ためじろう)自家醸造から始まる。大正に入り現在

地へ。品質の向上と旨い酒を目指して、造りも地杜氏から出雲杜氏

による造りへ移行していく。「福羅」の「福」の文字は縁起が良い

ということで、昭和初期ごろまで、「福泉(フクイズミ)」、「福牡丹(フクボタン)」の銘柄でも販売。

地名の東郷(現湯梨浜町)に因み、銘柄を「東郷」を命名し、後に「山陰東郷」と改名。地元に愛される酒造りを基本として、「山陰 東郷」の銘酒を数々生み出している。今晩はこれに舌鼓か。
H21兵庫士会交流 007小鹿谷公民館 小鹿谷

(おじかだに)地区には,

昭和3年に建てられた旧

鳥取家庭裁判所を移築し

たという小鹿谷公民館が

ある。法廷の面影を残す

現在では貴重な昭和初期

の木造庁舎が,今でも

小鹿谷の皆さんは大切にされているが、外壁を漆喰にしてほしい。


江戸時代、小鹿谷には鳥取藩家老の和田氏の陣屋が置かれていた。

その和田氏についてきた市橋家は、酒造業で産を成し、県を代表

する大地主となった。明治十四・四十四年の直接国税納税額順位では、県内の筆頭に挙がっている。

H21兵庫士会交流 013益田家住宅 主屋は大正5年の建築、続間が少なく中廊下で構成された間取りは民家の展開を示す貴重なものだ。感動は持ち出し

桁で組まれた自由でかつ開放的な(元環境大の澤良雄氏によれば

コルビジェより早い鳥取独自のスタイル)縁側の造りである。

転法輪寺(てんぽうりんじ)天台宗、湯谷山。開山、円仁。

開創、承和年間(834〜47)。天台宗寺院であるが、空也上人入寂

の地とH21兵庫士会交流 036伝えられる古刹。空也上人の修行姿と往生姿の木彫り2体

が安置してあり、県の保護文化財に指定されている。その他、大

イチョウ、大イヌグスや猫のオフジ伝説(写真)など話題や自然

素材に事欠かない。
H21兵庫士会交流 044
光徳寺山門
高く伸び繁った杉の老木に囲まれた参道の正面に石段があり、

その上に簡素で美しい茅葺屋根の山門が建っている。この地方

に末寺を10箇所も持つ宗道宗の名刹、尼子一族の祈願所で山陰

の修験道の歴史を解明する上で貴重な存在といわれる。

永享4年(1432)無余空円を開山とした、町内ではもっとも古い建築

物であり、その格式にふさわしい静かな美しさを持つ山門だ。

江原酒造 「帰らざる玄関」を含め街道に面して三つの玄関がH21兵庫士会交流 050

ある。私の地域なども葬儀や嫁入りのときは玄関ではなく縁側

から出る。その出口が玄関として明確に造られていることは不思議だ。昭和5年に中山町より移築。

中井旅館 「へるん」は八雲の別名で、英語教師として赴任

した。松江では、この名で親しまれた。八雲と妻のセツは、1891年8月に新婚旅行で鳥取県内を訪れた。友人への手紙

同町八橋の中井旅館(現在は廃業)に宿泊し、八橋海岸で海水

浴をしたことなどを書き送っている。
河本家住宅

古民家には驚きと癒しがある。まことに美しい民家である。門を入ると清楚な母屋が凛として建っている。左に小さいが「庭の七木」をあしらった庭、中に入ると「中庭」と呼ばれる土間がある、奥に炊事場(仕事場)左側に和室が連なっている。欄間のダイナミックさに感嘆する。

貞享5年(1688年)建築の民家。当初は落棟客間の変形6間取り、後に広間5間取りに復元した。防火のため、竈(かまど)の天井に泥を塗るなど、随所に「暮らしの知恵」が施されている

光集落 今回の企画の本命、鏝絵の町にたどり着いた。H21兵庫士会交流 112

鳥取県東伯郡琴浦町(旧、東伯町と赤碕町が合併)大山山麓

に広がる農村地帯の一角に光集落がある。平凡な農村集落だが、家々に従えた土蔵のほとんど全てに様々な鏝絵が見られ、さながら村全体が左官博物館的な様相を呈している。

これらの鏝絵のほとんどは、この地に生れた左官職吉田貞一

1985没)の作である。独学で鏝絵を学び、鶴や亀、巾着

などの下絵を何度も何度も練習したという。H21兵庫士会交流 109

また鏝絵のみならず鮮やかな海鼠壁も手掛け、独特の意匠が

この狭い集落で見られ、漆喰細工の博物館の感がある。

光(みつ)地区の鏝絵(こてえ)=左官職人が、コテを使っ

て漆喰の壁などに描いたレリーフ(浮き彫り)を鏝絵という

が、琴浦町光には戸数四十八戸の内、鏝絵のある蔵や母屋が

四十三棟も密集している。鏝絵が一所に集中しているのは全国的にも珍しく、近年注目されるようになった。これらH21兵庫士会交流 116は昭和30年代から描かれるようになり、吉田貞一(よしだていいち)が石州左官職人の生越故次郎(なまこしこじろう)から鏝絵技法を習得した処にあるようだ。

光から桐谷家に向かう途中に西日本最大といわれる墓地を

通る。まるでニューヨークのマンハッタンを空から観てい

る景観だ。墓石が摩天楼のようで都市の未来を暗示してい

るかのようである。相当の数の墓地だが海岸べりのお墓参

りは過酷な天候の時にはさぞ大変だろうと、いらぬ思いを

馳せる。話のネタには一見、おすすめである。花見潟墓地H21兵庫士会交流 124

カテゴリ: スタッフブログ at 2009年11月07日 │(トラックバック:0)