難波勲さんは自分の仕事を、透明感の追及といった。
そして幼少の記憶が水面を見上げた陽差しのごとく難波さんの仕事は、私の深い印象の宇宙から舞い降りさせた。
周辺が白くぼやけた写真には、先のない路地の片隅に土器の破片がある。
記憶の印象を形成する文脈は必ずその表層に「悲しさ」と同居して舞い降りてくるイメージを、私は今になって自覚しだしている。
意識に内包され浮遊した「悲しさ」をどんな言霊に昇華させるかは全く個人的な読み取りに委ねられるだけなのだが。
多くの趣味人や美術愛好家でさえ難波さんの仕事を前にして色彩やマチエールといった印象から感想を口にするのがとても愚鈍なことぐらいはわかっている。私たちはその表現が一般あるいは普遍として瞬時に意識してしまうからだ。
大切なことはこのことではない。
普通、我々の思考および言述は自分自身の知識や知覚を逸脱することはない。
そして知識や知覚の記憶は、我々の多くの行動をも制しつつその文脈を無意識に順序だてている。
人は自覚している範疇でしか表現できないのだ。
しかし、我々の記憶は幼少期に炎を眺め、土を掴み、水中から天を仰いだことを知っているし、雪や暴風雨、また稲妻に恐れたことを記憶している。
それらの情報は我々のDNAにインストールされている。
言語化できない膨大な記憶群には遥かな 遥かな宇宙の瞬きや銀河の爆発でさえDNAは知っているようだ。ただその情報が意識レベルで捕獲し制御できる文脈に達していないだけなのだ。
難波さんの仕事はその普遍を超えて私の記憶を呼び起こした。
意識される物と現実のゆらぎに「悲しさ」を垣間見る「記憶のゆらぎ」。
あらゆる仕事はその「ゆらぎ」のコピー、ないしは「迸り」である
ことを思うと、記憶の宇宙の文体に彩られた私の「悲しさ」が水中を回転する円周率の数字のように巡ってくる。